【すんずく おとん宅着】


「おうちに帰るまでが 遠足です」  は 小学校の時校長先生が言っていたこと

「旅で一番大切なことは、 帰る家があり・・・ 無事に帰宅すること」
  これは 今回の旅が終わって 頂いた言葉です

今回の旅では楽しいこと 素敵なことが沢山ありましたが
 一番大きな収穫は 自分の帰る場所の確認だったのかもしれません

息子達も大きくなり母親として求められることは 明らかに減りました
主人は 週末には必ず帰ってきてくれますが 6年前から単身赴任なので妻としての役割も果たしているとは言い難い
そんな中 唯一専業主婦らしい名目だった お義母さんの介護も何カ月か前から 施設のお世話になることになり
落ち着いた今 衣類の洗濯など週に1−2度の面会ですむようになってしまいました

これと言った趣味も持たず アクティブでもない私の今の存在価値や 
思っていたより長いこれからの人生の過ごし方について考える時間が一人の部屋で増え
色々自分なりの 生活の見直しを考えていた時の フ! といきなり湧いた 
「そうだ!鹿児島 いっちゃえ!」でした



あまりにもいきなり決まった事でしたので

帰ってきた 家は リフォーム中です(ぇ?リフォーム中に出かけるなって?ごもっとも!)

旅行中は 工事を中断(というか 材料が届くまでの中やすみ)
していただくことになっていましたが
何故か・・毎日来てくれていたようで・・
柿の木や紅葉の剪定とか・・・ 屋根の上のお掃除とか・・・ 洗車とか・・・
残りのペンキで ちょっとあちこち塗ってくれたり
申し訳ないことです。。


私はと言えば 帰ってすぐやったこと・・
とりあえず棲息地に 横断幕

いあ・・まじ こんなことやっている場合じゃないんですけど
長旅でついた たたみしわ 伸ばさないとでしょ〜
翌朝はじまった工事は こんな感じです・・

・・ぃぁ・・この日も工事はお休みの予定だったんですけどね

一応漏水とかないか屋根裏点検してくれることになって・・

アスベストちゃんがいっぱいいたそうです・・ご苦労様です




帰宅翌日から始まるはずの キッチンの工事は
資材の到着が遅れているということで 2−3日延期になりましたが そのおかげで
飢えた息子sは 栄養補給をする事が出来たし。。家に帰ってきたという気持ちになれ
本当に良かったと 思いました


鹿児島仕込みのお茶菓子は

山川漬けなどの漬物とか さつま揚げ トイモガラの辛子酢味噌和え
茹でピーナッツ 海老と帆立のゼリー寄せ ナンコツプルプルー

 
 大工さん達頑張ってくれて 結局台所が使えなかったのは1日だけでした
1日っていっても 朝ご飯も 10時のお茶菓子も作れたし 夕飯も作れたという・・ありがたいことです・・シクシク
(3時のお茶菓子は 10時までに作り置き出来たしね・・)

・・お風呂は1週間使えなかったのにね・・・・

工事が終盤になるにつれ もっともっと色々考えていただいて
もはや なんでもやのお爺ちゃんの集まりというか・・

手が開いたとき 大きなほうの食器棚を 
作りつけの耐震棚のように天井に固定してくれました

この中にはね〜 私の大好きなものばかり
宝箱みたいなものだから・・

食器を積み上げさえしなければ
地震の時もこの食器棚の周辺が一番安全だと言われ

何となく楽だから使っちゃう普段使いのお皿を
思い切って 処分して 積まない食器棚にしたんです

これってね・・出来そうで出来ないことだと思います
・・え? 皆やってる? ガーーン



 

特にこのあたり・・フフフ

・・とっても嬉しい・・

大事にしていたもの達が 普段使いになったら 豊かになった気がしました

この食器棚の奥は鹿児島につながっていると思います 

4年前に行った鹿児島は 今まで私がしたどの旅とも違う 新しいものがドンドンドーンって
目の前に現れては消える ブラックライト+ミラーボールのような旅行でした

だって私には 全員が初対面だったし・・
それがあまりにも 華やかなパーティーで 完全燃焼してしまい
最高を味わってしまったら これ以上はないから もう鹿児島には行きにくいと思いました

・・今回の旅
前の旅とどちらが楽しいかと聞かれたら 。。 
昔のことは良く見える部分と 記憶は混沌するお年頃なのとで よくわからない

・・でも 今回 す・・ごく深かったようなきがします


それは 帰ってきてから 少しずつ しみじみ感じることだったり
これからの生活の中で私に積み上がって行くことだったりするんだと思います

私は東京に生まれ 東京で育ち 東京に嫁ぎましたから
生涯居住地と言うか 生息範囲が 直径20キロくらいなんです
そのわりに 東京のことについて詳しくもないし 愛着・・も特にないような気がします
その土地の良さって言うのは 離れてみてはじめてわかるものなのかもしれません
井の中の蛙が知らないのは 外の大海ではなく むしろその井のよさなのじゃないでしょうか

鹿児島を故郷と思えるほど 私は鹿児島のことを何も知らない
何度説明していただいても食べ物以外の記憶が留まりにくい頭の構造でもあります

でもなんでだろう。。鹿児島には。。私の気持ちのかなり中心部分まで スルリと入ってきてしまう人が居る・・
だから 居心地が良いというか 自分の居場所 みたいな気がしてしまうのでしょうか


 


 子供のころは 親の元だけが 自分の居場所で 帰る場所で 
行動範囲には 保護と言う理由で厳しい制限があったと思います

その規制から逃れることが大人になるということだと思っていました

結婚をして家族を持つと 居場所がもう一つ増えたような気がしましたが
実は 帰る場所は自分達で作らなければいけないということだったんだと思います

もう 親の元は私の帰るべき場所では無くなったわけですから

居場所を見つけることは 案外簡単なことかもしれません
多少我慢をすればどこにでも居られるものです

でも自分の帰るべき場所を作るということはたやすいことではないような気がします

年を重ね 色々な事から解放されて行動範囲が自由になっていく時

煩わしい規制やしがらみの大事さに気付いたような気がします

だって それがなければ 私は帰ってこなくてもいい人になってしまう

 大事にしなきゃ・・私の帰る家。。





   お・わ・り